木目金を知る <第15回>

  2018年11月9日

杢目金屋では年に3回開催の「木目金フェア」にて、江戸時代の木目金作品の展示ご紹介も行っています。この11月のフェアでは、正阿弥派の華麗な刀の鐔を、その形をモチーフとした鐔ジュエリーと共に展示しています。
今回はこの鐔の解説を通して木目金の元祖である正阿弥伝兵衛、そして秋田木目金についてご紹介したいと思います。

 

木目金鐔 無銘 江戸時代中後期 赤銅 銅 金 銀

フェアにて展示するこの鐔は「四つ木瓜(よつもっこう)」と呼ばれる形で、江戸時代でも鐔の形として人気があったようです。多くの実をつける瓜の断面の形に似ていることから、子孫繁栄を意味する縁起の良い形として用いられていました。金・銀・赤銅・銅によって制作された木目金の模様はデザイン性が高く、その色合いが金の縁取りとも相まって大変華麗で、一般的に質素な印象が多い木目金の中で珍しい作品です。ストライプの様な木目の中に玉状の木目文様を組み合わせたこのデザインは、最古の木目金作品と称される小柄(刀に添える小刀の持ち手の部分)と同じ技法で作られています。

 

 

秋田県指定文化財 小柄 金銀赤銅素銅鍛銘 出羽秋田住正阿弥伝兵衛 復元製作 高橋正樹

この小柄を制作した正阿弥伝兵衛(鈴木伝兵衛重吉1651年~1728年)が木目金を考案した元祖です。
「正阿弥」という呼称、流派は京都の金工の名家が元であり、江戸期にその一門が全国に散在し発展しました。伝兵衛は江戸で正阿弥に弟子入りし修業後、秋田藩主佐竹家にお抱え工として仕え、素晴らしい刀装具の数々を残しました。そして「秋田正阿弥」の祖となったと考えられています。正阿弥派が庄内、会津、江戸、備前、 伊予、阿波などの各地に広がる中、秋田の一派が最も繁栄し屈輪彫りや木目金の新様式を確立しました。
今回ご紹介した鐔の模様を制作するためには、相当な大きさの地金を用いる必要があり、4種類の金属の板を溶けあわないように接合し加工することは大変な技術を要します。さらに出来上がった木目金の板を3枚はぎ合わせるという高度な技により、いっそう複雑な模様を生み出しています。金・銀・赤銅・銅を張り合わせた地金を用いたこの華麗な木目金は「秋田木目金」と分類され、その巧みな技 と優美なおもむきは他に類をみません。

この鐔は杢目金屋WEBでもご紹介していますが、11月の木目金フェアにて展示していますので、ぜひ実物を間近でご覧ください!

木目金を知る <第14回>

  2018年10月18日

幕末から明治にかけて来日した外国人が日本の芸術に魅了され、母国に多くの美術品を持ち帰り、後に博物館に寄贈されたものも多くあります。木目金の作品も世界的な博物館に収蔵されています。連載第10回から13回にかけてはロンドンの大英博物館とオックスフォード大学の博物館であるアッシュモレアン博物館の収蔵作品調査の様子についてご紹介しました。

今回はロンドンのビクトリア&アルバート博物館(V&A)の木目金作品のご紹介です。杢目金屋ではNPO法人日本杢目金研究所から「木目金の教科書」を刊行しています。

伝統技術「木目金」の歴史・文化・作品・技法など、体系的にひも解いた教科書的な書籍です。V&Aをはじめとした海外博物館に収蔵されている木目金作品も数多く掲載しており、今回の訪問でそれらの作品が実際に展示されているのを目の当たりにすることができた時は歓喜!!でした。

V&Aは1851年のロンドン万国博覧会の展示品をもとに、1852年に開館した国立博物館で、装飾美術とデザインを専門とし5000年に渡る世界各国の人類の創作遺物を収蔵しています。1909年に現在の立派な宮殿のような建物が竣工しています。

展示室は140室以上もありコレクションの質と内容の豊富さは世界屈指と言われ、大英博物館と同じく入場無料で公開されています。荘厳な建物に囲まれた中庭は子供たちが水遊びするなど憩いの場として親しまれています。

コレクションの内容ごとに展示室のデザインが異なっていて、宮殿のような室内を活かした銀食器の展示室や、

ヨーロッパの中世の豪華な装飾品をシックに展示した空間など、作品だけでなく展示空間そのものが楽しめます。

「Japan」の展示室は日本の建築のデザインを取り入れており、展示ケースの上部に欄間を思わせる装飾が施されています。

日本室の照明がとりわけ薄暗いのは作品の保護のためもありますが、陰影の美を尊ぶ日本を象徴してのことではないでしょうか。展示室では「茶道」「漆」「装身具」などのカテゴリー毎に江戸時代から明治、現代までの作品が展示されています。

そして「SAMURAI」のコーナーに多くの鐔や刀が展示されていました。

探してみると中央辺りにありました!高橋興次の銘入りのグリ彫りの鐔が、そして木目金の鐔も。

グリ彫りの鐔は興次作の同じような作品を杢目金研究所でも所蔵しています。グリ彫りは鐔工の高橋派が最も得意とした技術です。中でも興次の彫りは端整ながら肉置きもたっぷりしていて、堂々とした立体感があります。この連載「木目金を知る」の第1回で取り上げましたが「吉野川図鐔」に代表されるように、木目金を単なる文様を作る技術ではなくイメージを表現する手段にまで高めた興次。彼はグリ彫りの作り手としても右に出るものがいないと言えるほどの名手なのです。

木目金の鐔はシンプルな鉄の地金に木目金が象嵌されています。櫃孔(ひつあな)と呼ばれる本来は刀に添える笄(こうがい:髪を書き上げる道具)を通す穴の部分の他に、ひょうたん型や何の形でしょうか?細長い形状を木目金で象嵌しています。大ぶりな鐔の中に微妙なバランスで小さなアクセントを散りばめています。そのひょうきんな形とは裏腹に非常に手の込んだ木目金の複雑な文様が施されていて、当時の職人の洒落っ気が伺える作品です。

この他にも中央に展示されていた黒い鞘(さや)の大小揃いの刀の飾りは、深いグリ彫りの縁や栗型になっていて、すっきりとしたシンプルな艶黒を引き締めるデザイン性の高い作品として展示されていると思われました。

そして幕末ごろの工芸品を展示しているコーナーにありました、華やかな木目金の花瓶が。

「木目金の教科書」にはV&Aから提供されたこの花瓶の画像を掲載していますが、片方の面のみです。今回の訪問で初めて裏側の木目金の文様も見ることができました!

七宝や漆、螺鈿、金象嵌をあしらったとても華やかな装飾と木目金の文様が調和のとれた美しい作品です。

装飾芸術とデザイン性を視点に世界中の逸品が収集されているため、「Japan」展示室にある作品はどれも一つ一つが大変精巧で細かな装飾が施されていて、見ていて飽きることなく興味深い作品ばかりです。

刀の鐔を例にしても、当時作られた金属工芸技術作品の内、木目金で作られた作品は割合としては非常に少ないにもかかわらずV&Aの展示で取り上げられています。それはやはり木目金の美しさとその技術が表現する奥深さへの評価によるものではないかと今回改めて感じました。

 

 

木目金を知る <第13回>

  2018年10月4日

前回はオックスフォード大学の博物館であるアッシュモレアン博物館にての作品の調査をご紹介しました。菊の花を立体的に表現した鐔など、技術的にも素晴らしく珍しい作品が多く、皆様にもアップ画像を通してその魅力を感じていただけたと思います。

キュレーターのポラールさんには収蔵庫や展示室も案内していただきましたので、今回はその一部をご紹介します。

収蔵庫は博物館の展示室を取り囲むスペースにあります。貴重な収蔵品を後世に伝えるための保存においては、カビやさび、乾燥によるひび割れなどから守るため温湿度管理が重要です。そのため収蔵場所は作品の材質の違いにより分けられています。紙や木製品など有機物の作品と金属などは保管に適した温度と湿度などが異なるためです。鐔など刀装具などの金工品は本来は東洋の陶磁器とは別の収蔵庫に保管したいとのことですが、湿度管理できるケースに別途保管することで対応しているようでした。

湿度管理表が貼られたケース

収蔵庫の一部しかご覧いただけませんが、膨大な作品数のためポラールさんも全ての作品を確認できてはいないとのこと。WEBにもコレクション画像の全てが掲載されている訳ではないらしいので、刀装具の縁や頭など、まだ未発見の木目金作品があるかもしれない!と、調査が進むことを期待して保管庫を後にしました。

アッシュモレアン博物館には世界各国の展示室があり、立派な日本展示室もあります。

連載第11回でもご紹介しましたが、茶室も作られていて、毎月1回お茶会も催されています。このお茶室の設営の様子もパネルで紹介されていました。
狭い空間の中での繊細な造作。日本の数寄屋(茶室)建築技術は芸術ですね。


ポラールさんによると、来館者の日本文化への興味は本当に高いため、作品について良く知ってもらうために展示方法を工夫しているとのこと。印籠をどのように携帯していたかご存知でしょうか。着物の帯に通し根付を帯の縁に引っ掛けぶら下げて使用されていました。その様子が分かるようにと説明イラストと共に、バーに根付を引っ掛けて展示されています。

浮世絵や日本画などの展示作品はポラールさんが監修し毎月展示品を入れ替えているとのこと。来館者にもっと日本美術に親しんでもらえるように、作品を手に取ってさわれるコーナーを設けたい、など熱心に語るポラールさん。数時間に及ぶ鐔の調査の後、閉館時間まで丁寧にご案内いただきました。

今回の訪問によって、江戸時代の木目金の鐔をはじめとする日本の素晴らしい伝統芸術作品が、異国の地でこんなにも愛されて伝えられていると知ることができました。

私たち杢目金屋も、江戸時代から伝わる木目金の作品の調査研究をこれからも続け、作品だけでなくこの貴重な技術をこれからも未来に伝え続けていきます。

 

木目金を知る <第12回>

  2018年9月13日

前回に引き続きオックスフォード大学の博物館であるアッシュモレアン博物館での木目金関連作品調査についてお伝えします。先にご紹介した木目金の鐔3点のほかに、同博物館には木目金の元祖と言えるグリ彫りの鐔も4点収蔵されています。

これらを含め1286点もの鐔が収蔵されていて、そのうちの1264点にも上る膨大なコレクションはアーサー・チャーチ氏(Sir Arthur Herbert Church 1834~1915)が収集したものです。英国ロンドン出身で化学者(農芸化学、色素化学)であった彼は、日本の鐔の収集に熱心で、特に晩年は作品を系統立てて揃えるべく精力的に収集していました。そのためコレクションは非常に充実したものとなっており、これらの鐔に関する彼の著作は日本語にも翻訳されています。今回の調査では、このチャーチ氏の収集した鐔に関してアルバート・コープ氏(Albert James Koop 1877~1945)によって書かれた解説書(1925年)を見せていただくこともできました。一般には販売されなかった大変貴重な本のようです。中身は英語ですが、和綴じ(わとじ)になっていて日本で後に製本されたものです。

アッシュモレアン博物館のWEBサイトはとても充実しているのですが、特に東洋美術部門のコーナーは一般的なコレクション紹介ページの他に、このコープ氏の解説本に基づいた各作品の詳細な解説サイトを設けています。これによると、チャーチ氏の関心は植物と幾何学文様に関して高く、そのため人物や動物のモチーフが少ないようです。

だからでしょうか、彼の収集したグリ彫りの鐔はどれも比較的珍しく、中でも菊の花を表現したこの作品は大変珍しく、他では見られないものです。

丸型や木瓜型の鐔の中に唐草模様が彫られたグリ彫りの作品が多い中、この鐔は16枚の花弁をそれぞれグリ彫りで彫り出すことで立体的な菊の花を表現しています。

なおかつその彫り出しにより、赤色の銅と黒色の赤銅(しゃくどう;銅と金の合金)の積層が文様となって表れた、とても面白い構造になっています。

積層の線は多数の重なる「菊の花びら」を連想させます。櫃穴(ひつあな)部分の無数の小さな丸の型押しは「菊の花芯」を思わせます。
刀の鐔がだんだんと可愛らしく見えてきますね。

 

この作品も「菊鐔」と紹介されている鐔です。銀と赤銅の組み合わせがモダンとも言える、とてもシャープなデザインです。

 

こちらは唐草のグリ彫りですが、よく見られる鐔の全面を唐草文様で埋め尽くす形式ではなく、のびやかなつる草の様に曲線をグリ彫りで描いています。背景に赤色のぼかしを用いて絵の様です。優雅な華やかさを表現したとても珍しい作品です。現在の私たちが見ると、まるで西洋の装飾のようにも感じますが、江戸時代の職人はどのような絵を思い描きながら“デザイン”していたのでしょうか。想像すると楽しくありませんか。

 

4つ目のグリ彫りの鐔がこちらです。比較的よく見られる丸型に唐草が彫られたものです。

この鐔の紹介文の英語では「scrolls:渦巻」とされていますが、日本では「唐草文様」と呼ぶことが多く、つる草が絡む様を表し、その生命力を意味するため吉祥文様の一種として古来より良く用いられる装飾モチーフです。

 

今回の7種類の木目金とグリ彫りの鐔の調査、一つ一つ詳細に計測し、部分ごとに観察、撮影も行うため、資料閲覧や収蔵庫、日本展示室の見学も含め一日がかりとなりました。キュレーターのポラールさんに案内していただいた収蔵庫や展示室の様子は次回にご紹介します!

 

アッシュモレアン博物館
https://www.ashmolean.org/eastern-art

木目金を知る <第11回>

  2018年8月31日

第10回ではロンドンの大英博物館にて木目金の鐔を調査した模様をお伝えしました。100年前に日本でその鐔に出会い、技術の素晴らしさ美しさに感動してイギリスに持ち帰ったに違いない、その同じ感動を得た調査でした。今回は同時期に訪れたアッシュモレアン博物館での調査の模様をお伝えします。

ロンドンから西に電車で1時間のオックスフォード市にアッシュモレアン博物館はあります。オックスフォードといえばご存知の通り、ハーバード大学などと並ぶ世界有数の名門オックスフォード大学のある町です。様々な学問分野の教職員と学生が同じ寮で寝食をともにし学ぶという「カレッジ制」になっていて、それら39のカレッジが集まる総合大学になっています。町の中心部はそれらの建物で占められていて、12世紀に建てられたゴシック様式の石造りの建物はどれもみな荘厳で歴史の重みが感じられ、圧倒される美しさです。

アッシュモレアン博物館はこのオックスフォード大学の博物館であり、1683年に開館した世界最古の大学博物館です。エジプトのミイラからコンテンポラリーアートまで幅広い所蔵品を誇り、日本展示室もありますが、なんと茶室まであるんです! ここでは実際に月に一度「お茶会」が催され(展示室内でですよ)、毎回大変な人気だそうです。

さてこの博物館に収蔵されている木目金の鐔の調査についてです。事前に日本美術部門のキュレーターの方に確認し、木目金の鐔3点、グリ彫りの鐔4点を調査させてもらう事になっていました。欧米では博物館のキュレーター(curator)とは学術的専門知識を持って作品の研究、収集や、展示企画業務を行う職のことで、日本の教授にも相当する専門職です。

調査当日出迎えてくださったのはキュレーターのクレア・ポラール(Clare Pollard)さん。日本の明治の工芸を専門とされていますが幅広く日本美術に通じておられます。2000年の秋には東京国立博物館で調査研究を行われたこともあり、日本語も話される笑顔が素敵な方でした。この日は鐔の調査に加え、収蔵庫、展示室も案内いただき、閉館まで丸一日がかりの調査となりました。

調査室の机は大英博物館と同じく作品を傷つけないように、一面にクッション性のあるフェルトとその上に薄紙が敷かれていました。

いよいよ実物と対面、一つ一つ計測し観察し記録していきます。まずは木目金の作品3点。

こちらは四つ木瓜(よつもっこう)型の小ぶりの鐔です。小刀用と思われます。硫酸銅で煮色着色された銅の赤みが強い大変綺麗な色の鐔です。
赤銅(銅と金の合金)の黒色との2色を用いて、小さい空間の中に趣のある木目金模様を描いた、とても味わい深い作品です。

全体に無数の丸い杢が施された大型の鐔。これだけでも123.5グラムもあり、刀全部では相当な重さだっただろうと改めて感じました。スイスのバウアーファンデーション東洋美術館によく似た鐔が収蔵されています。

とても珍しい装飾の鐔です。鐔の中央部分は3色からなる木目金の上にさらに別の金属を被せてあり、縁の部分も3色の組み合わせになっている大変手の込んだ鐔です。どんな派手好みのおしゃれな武士が持っていたのでしょうね。

 

一つ一つ何か所も厚み等計測し、詳細に写真撮影も行うため、あっという間に調査時間が経ちます。

グリ彫りの鐔4点の調査や収蔵庫、展示室については次回ご紹介しますので、お楽しみに!

 

 

 

 

木目金を知る <第10回>

  2018年8月16日

木目金の刀の鐔等の作品は明治時代に海外のコレクターに美術品としてコレクションされ、今では世界中の著名な博物館等に収蔵されています。今回は6月に行ったイギリスの博物館調査の内、まずはロンドンの大英博物館所蔵の木目金作品の調査の模様をお伝えします。

大英博物館は、所蔵品の数が世界最大規模を誇る国立博物館です。 大英帝国最盛期の18~19世紀にかけて世界中から集められた発掘品や美術工芸品など約800万点を収蔵しています。

有名な文化財や芸術品が多数展示されており、ヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)解読の重要な手がかりとなった石碑「ロゼッタ・ストーン」や古代エジプトのミイラ、イースター島のモアイ像、などが有名です。

大英博物館が所蔵していることが判明していた木目金の作品は普段は展示されず収蔵品庫に保管されています。1981年にコリングウッド・イングラム(Collingwood Ingram)氏(1881~1981)が亡くなった際に大英博物館に寄付されたものです。彼は鳥類学者であり、またその研究に関連して植物のコレクターでもありました。ビクトリア女王時代の19世紀後半に日本から観賞用の桜が多く持ち込まれ、可憐さからその後ブームとなります。イングラム氏も日本を3度訪れて桜を収集し日本の桜に関する世界的権威となりました。このように日本との縁が深く、そのため日本美術、特に根付のコレクターとなった彼の手に木目金の鐔も収められたのでしょう。桜とともに海を渡った鐔に1世紀近くぶりに我々日本人が再び出会う機会だったかもしれません。

今回の調査は、事前にアジア美術部門に日本杢目金研究所から調査希望を伝えたところ許可がもらえたため渡英調査の運びとなりました。6月中旬のその日は開演前から多くの人々が入口で待っていました。大英博物館は全世界の人々に入場無料で公開し、任意の寄付BOXが設けれられています。貴重な作品の保存・展示に係る費用の多くは寄付で賄われているため、我々もささやかながら協力し、早速開館と同時に指定された調査室に向かいました。

アジア美術の展示室横に位置する調査室の扉をノックする時は緊張しましたが、笑顔で迎えてくれたのが、ダリル・タッパンさん。大英博物館の所蔵品の管理や調査業務のアシスタントの方で、彼女から収蔵庫の様子や管理方法を聞き取りし、また、イギリスで日本美術に詳しい他の博物館を教えていただくなど、この日はとても親切に私たちの調査を手助けしてくださいました。

調査室の広々としたテーブルは作品を傷つけないように全面がクッション性のあるフェルト状の敷物で覆われ、さらにその上に薄紙が敷かれていました。持参したデジタル顕微鏡や測定器具を設置し、用意されていたゴム製の手袋を装着して調査開始。

テーブルには既に木目金の作品である刀の鐔が用意されていました。木目金の鐔1点と、木目金風の装飾の鐔1点です。WEBの画像でしか見たことのなかった木目金の鐔の実物に対面できて大感動!の瞬間です。

いよいよ鐔を手に取り全体の大きさや重さなど詳細な計測を行います。鐔は一見平面に見えますが鐔の中心部分の方が厚みがあるように作られていることが多いため、中心から鐔の縁まで放射状に計24か所の厚みや櫃孔(ひつあな)等を計測します。また各部分の撮影は顕微鏡も使用して何か所も撮影を行いました。

この結果WEB画面だけではわからなかった新たな発見がありました! 鐔の表と裏の面と側面の縁に当たる部分は別々に制作されることが多いのですが、この鐔は表面の木目金の板をそのまま側面にまで加工しています。木目金の模様が側面にまで続いていることが画像からわかりますでしょうか。後から巻き付けたかのような縁(ふち)を同じ一枚の板から木目金の模様を崩さずに制作するのは大変な技術を要します。

また、鐔の表と裏で「虫食い跡」を表現していると思われる形状の部分は、鋼鉄製の型を木目金の板の上から打つことで作成されていました。木目金の模様が続いていることからわかります。さらに型の中を魚々子(ななこ)と呼ばれる先が粒状の鋼鉄製のタガネを用いて装飾しています。今回の詳細な観察を通して、何種類かある虫食い跡が同じ大小の型をいろいろに組み合わせて変化をつけて表現されていることもわかり、その見事な制作技術に感嘆しました。

この鐔をイギリスに持ち帰ったイングラム氏は、鳥類や植物の研究者です。木目金で表現された模様や、虫食い表現など、自然を表現する日本人の繊細な手わざに感嘆し、愛でたのではないでしょうか。本当に素晴らしい作品は、時代も国の違いも超えて何世紀にもわたって守り伝え継がれるのだと改めて感じた調査でした。

同じ時に訪れたオックスフォードのアッシュモレアン博物館には7点の木目金とグリ彫りの鐔がありました。いずれも他では見られない装飾技法が含まれている大変興味深い作品です。日本担当学芸員の方に関連の資料や保管庫も見せていただくことができましたので、詳細は引き続きWEB「木目金を知る」に連載していきますのでお楽しみに!

木目金を知る <第9回>

  2018年6月15日

代表の髙橋が江戸時代の木目金作品を毎年1点復元研究制作しています。江戸時代の職人がどのように、どのような想いで木目金という技術を用いて作品を制作していたのか。当時の職人の銘が刻まれた刀の鐔と向き合い、その技術、表現の再現を試みることを通して、作者と木目金という技術との関係を解明していきます。今回は復元研究制作の様子も順にご紹介しながら、みなさまにもその一端を感じていただこうと思います。

今年復元制作しました鐔は江戸時代中後期の作品「銘 豫州枩山住 正阿彌盛章」です。
現在の愛媛県松山に住んでいた伊予正阿弥派の鐔工盛章の手によるものです。この「正阿弥」という名前、木目金をご存知のみなさまにはなじみがおありかと思います。最古の木目金として現存する小柄の作者であり木目金を生み出したとされる「正阿弥伝兵衛」と同じです。金工作家の中で名高い一派の名前でした。室町末期頃に興った金工・鐔工の一派であり、京・伊予・阿波・会津・庄内・秋田など二〇派以上に分派しました。幕末・明治に活躍した「正阿弥勝義」も有名です。
この正阿弥盛章の鐔は刀の鐔の中でも比較的大ぶりな作品となります。鐔の形は障泥形(あおりがた)と呼ばれるもので、上部の横幅より下部がいくぶん幅広に作られた安定した形です。「障泥」とは馬具の一部で、泥よけとして馬の胴にかぶせる革具のことをそう呼び、形が武士にとって身近な形であったため、鐔の形状にも多く用いられたようです。鐔の形は他にも軍配型や木瓜型など様々ありますが、これについてはまたの機会にご紹介したいと思います。

さてこの鐔の木目金の模様を観察していきましょう。鐔一面に広がる複雑な文様。夜の月明かりでしょうか、それとも木漏れ日に照らされているのか、静かにゆらぐ川面に現れる、捉え難く変化する模様を表現しているかのようです。全面に施された大小様々な玉杢と呼ばれる丸い形状と、それらがつながり漂うかのように見える流れ跡が見えます。銅、赤銅、銀による制作により、朱、黒、銀色の織りなす景色は川底の藻や岩肌が透ける水面のようでもあります。
そこには作者が表現したい具体的な景色、イメージがあります。それを表現するために木目金の技術を用いているのであって、木目金は作者の表現の脇役にすぎません。木目金の鐔の歴史を追ってみると、先ほどの正阿弥伝兵衛の小柄や、同じく伊予正阿弥派の盛国作の鐔など、時代が古い頃の方が模様は複雑であり、作者が鐔の中に表現したい情景・世界観のイメージを演出するための技術として木目金を用いていると思われます。

 

正阿弥伝兵衛の小柄

 

伊予正阿弥派の盛国作の鐔

 

時代が下がり江戸時代末期の木目金の鐔においては、比較的その模様が一定のパターンとして制作されています。「猪目形磨地木目金鐔 銘 正隆」の鐔などがそうです。

猪目形磨地木目金鐔 銘 正隆

 

模様は大変細かく繊細であり高度な技術を要しますが、ひたすらに規則的な彫りを重ねることでパターンとして文様を表現しています。木目金の技術が完全に文様を作る技術として扱われています。効率化や生産性の追求によって画一化へ向かっていったのでしょうか。勿論、美しい文様の表現として木目金の特性が活かされているという点は万人が認めるところでしょう。しかし木目金の技術はさらに深い表現を可能にさせられるのです。
この盛章の作品は明らかに伊予正阿弥派の流れを汲んでいて、一見パターン化している文様のようでいて、そこには作者である盛章が、描こうとする景色を意図して緻密に制
作している跡が見られます。
復元研究制作は、このような鐔の観察を通して作者の意図を感じ取り、想像しながら、その表現したいイメージを同じく眼前に描くことによって、制作作業を進めていきます。

まずは使われている金属の種類を色から判断し、それぞれの金属がどの順番で重ねられているかを調べます。平らな表面に見えている模様を目で追い重なりを分析するのですが、模様を彫り下げては延ばしを繰り返している場合、その順番を正確に解明するのは容易ではありません。次に鐔を計測し、重さや厚みを元に模様を構成する各金属の重ねる枚数やそれぞれの厚みを割り出します。完成品よりも小さい鐔型に模様となる彫りを入れ、最終的に延ばして平らにした時に元の鐔と同じ大きさ、重さ、模様になるようにするための分析です。

次に実物大の鐔画像を縮小した画像からトレーシングペーパーに模様を写し取り、用意した地金に文様を写し書きします。地金は先ほどの分析から割り出した厚みの金属を重ね、加熱し圧着したものを使用します。

まずは丸い形状から彫ります。模様の大きさ、積層の見え方を元の鐔を良く観察しながら慎重に彫ります。彫る深さや角度によって延ばした時の模様の色、面積が異なるからです。

丸い形状が彫り終わったら、それぞれをつなぐように間を彫り進めます。決して単調な作業などではなく、作者がイメージする景色をそこに描くための素材との対話がそこにあります。この彫りによりそれぞれの模様が複雑につながることで、ゆらゆらと漂う水の流れのそこに見えてきたのではないでしょうか。

彫り終わったら鐔を熱し元の鐔の大きさになるように慎重に延ばす作業を繰り返します。表面を平らにすることで模様の完成です。実物大の鐔の形に切り抜きます。

 

今回復元した鐔は覆輪と呼ばれる鐔の外周部分も木目金で作られています。細長い形状に積層した地金に同様に模様を彫り、平らに延ばしたものを制作し、鐔の中身となる銅素材に巻き付けます。

鐔の表と裏に木目金を貼りつけ、鐔の形に整え、最後に銘を刻みます。

そして最終的に煮色着色にて色揚げをして完成です。この「煮色着色技法」については、またの機会に詳しくご紹介しますが、硫酸銅等の液体で煮込む前に、今も昔も必ず「大根おろしに漬ける」という作業があります。

決して「おまじない」などではなく、脱脂効果等の科学的な作用があるのですが、実はいまだに完全には解明されていません。

煮色着色します。その時々の素材の状態によりますが数十分煮込みます。時々色の変化を確認しますが、空気に触れないよう慎重に行います。

復元制作を終え、やはり感じるのは作者が木目金の技術を用いて、この鐔の中に、ある種の情景を表現したかったのだということです。無作為に彫られた模様の集成ではなく、作者の眼前にはっきりと浮かぶイメージを木目金の特性を利用して鐔の中に緻密に表現していったのです。

木目金を知る <第8回>

  2018年4月18日

代表の髙橋が監修した「木目金の教科書」には海外の木目金作家と作品も掲載しています。
James Binnion氏もその一人。アメリカで30年以上にわたり独自に木目金を研究し制作されています。
今回テレビ東京の番組「世界!ニッポン行きたい人応援団」に出演し、木目金発祥の地、日本に学びに来るということになり、髙橋が代表を務める日本杢目金研究所も収録に協力しました。収録の日は丁度東京の桜が満開の晴れた日。来日は2回目というBinnion氏も夫人も日本の自然美に感動しきりでした。

取材1

木目金の技術が生まれた江戸時代の本物の作品は、ボストン美術館収蔵の「吉野川図鐔」1点しか見たことが無いというBinnion氏。様々な木目金が見れるとあって、来訪をとても楽しみにされていたようです。
収録当日、まずは木目金の金具が施された刀をご紹介すると、大変興味深げに手に取り眺め、サムライよろしく脇に携えてもみておられました。

取材2

刀装具の縁、頭、瓦金、鐺、の部位が全て同じ模様の木目金で、揃いで刀の鞘と共に残っているのは大変珍しく貴重な作品です。
また、鐔は江戸時代後期の作品「銘 予洲松山住正阿弥盛国タガヤサンノ地加称」。
珍しい四角紋の木目金模様です。

鐔
盛国
髙橋からは、木目金の元祖となるグリ彫りの作品から順に木目金の歴史を追って江戸時代の作品を解説。
鐔などの刀装具だけでなく、矢立や薬缶などの作品もご覧いただきましたが、髙橋もBinnion氏も、同じ木目金の技術による一人の制作者として、当時の職人技のすばらしさ、美しさへの賞賛を惜しまず、また本当にその技術を駆使することの大変さ、苦労を共感し合っておられました。

収蔵品

異なる金属を何枚も重ね合わせ接合する難しさ、そしてさらに加工し模様を生み出した後に、立体の作品へと成形していくその高度な技術。江戸時代の様々な作品、木目金の多様な模様を間近で見ることができ、いにしえびとの創作の様子を少しは体感していただけたようでした。人生の大半を木目金の制作に捧げているというBinnion氏。まだ今回は収蔵品の一部のご紹介だと告げると、必ずまた来日すると満面の笑みでした。

取材3

この日は別途、収蔵品だけの撮影も行いましたが、木目金の模様を最大限アップで見せるようにした撮影は興味深く、実際の放映がとても楽しみです。ぜひ皆さんもご覧ください。

番組はテレビ東京系列局にて4月23日(月)20時から放送予定です。
番組HP:http://www.tv-tokyo.co.jp/nipponikitaihito/

物撮り

木目金を知る <第7回>

  2017年11月11日

これまでの連載では、国内外の木目金作品に関する調査研究についてご紹介してきましたが、今回は「木目金」の歴史を、装身具を中心とした日本の金工技術の歩みと共に解説いたします。

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日本のジュエリーの起源
約一万二千年前の旧石器時代に装身具は生まれたと言われています。石製品の飾りから縄文時代には、骨角、貝、木製の飾りの製作が見られますが、当初は「おしゃれ」ではなく、権威の象徴、祭りごとに使う飾りや同族の証など極めて社会的な意味が強い道具として発達したようです。弥生時代以降には、青銅、ガラス、金、銀、金銅等が加わり、単なる装身具ではなく政治的・宗教的色彩の強い物として流通していました。

刀と共に発展した金工技術
その後の時代も大陸から様々な工芸技術が伝わり、人々の習慣や様式の変化とともに発展し、日本の伝統文化を作り上げる重要な役割を担いました。中でも金工技術は武家社会の発展と共に武士の魂の象徴である刀と共に独自の発展を遂げたのです。そして日本の金工技術は約二百五十年余りの泰平の江戸時代に大きく花開きます。
戦が少なくなった江戸時代では、刀は戦う道具としての機能よりも身を飾る道具として発展しました。
「木目金」の最も古い作品として残る※1出羽秋田住正阿弥伝兵衛作の小柄(小刀の持ち手)は金・銀・銅・赤銅からなる優雅な趣が特徴です。

江戸時代の装身具の発展
平和になるなかで武家社会の変化と町人文化の隆盛と共に装身具の制作技術が発展します。提げ物と言われる煙管、印籠、根付等が流行し、武士や町人にも広まっていきました。町人が腰に印篭を提げ、煙管を吸っている様子は、時代劇でもお馴染のワンシーンだと思います。それぞれのコーディネイトに趣向が凝らされ、「粋や洒落」といった町人文化独特のユーモア溢れる作品が残っています。「木目金」も※2煙管や矢立(携帯用筆記用具)などの実用品の装飾に用いられるようになります。寄木細工のように、異なる色味の金属を嵌めてつくる切り嵌め象嵌の技術など、刀装具で磨かれた様々な金工技術が惜しげもなく使われたのです。

明治~近代の金工技術の変化
しかし、時代は大きな転機を迎え、明治時代には急速に西欧化が進み、明治9年、帯刀禁止令が出されたのです。職を追われた刀装具の職人たちはその技術の使い道を、帯留めなどの装身具や、殖産興業の政策のもと海外への輸出品制作へと活路を見出してゆきます。「木目金」の技術も廃刀令と共に一旦は衰退し「幻の技術」と呼ばれるようになりますが、その後この技術にひかれた現代の熱意ある人々の努力によってよみがえったのです。
杢目金屋では、この貴重な伝統技術木目金及び関連の作品を体系的に収集・保存し研究しています。また「木目金の教科書」を監修し、広く普及に努めています。

木目金を知る <第6回>

  2017年7月7日

杢目金屋では毎年1点、江戸時代の名品である刀の鐔を復元制作しています。2017年4月に日本美術刀剣保存協会主催の「新作名刀展」に出品した作品は明治時代に制作された「木目金地鐔 銘 松山住 利信」の復元鐔です。2015年に出品したスイスの「バウアーファンデーション東洋美術館」収蔵の鐔復元作品の「努力賞」受賞に続き、この作品も同賞を受賞しました。

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「木目金地鐔 銘 松山住 利信」の復元/制作 髙橋正樹

 

今回復元した鐔は杢目金屋の研究機関である特定非営利活動法人「日本杢目金研究所」の収蔵品です。明治時代に伊予国(今の愛媛県)松山で制作していた「山本利信」の作品で、大小の刀拵えとして二つの木目金の鐔が対で残されている大変貴重なものとなります。鐔の表と裏はそれぞれ「夜」と「昼」を表現しています。具象と印象の間とでもいうような表現として「夜と昼」は芸術における題材によく見られます。

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「木目金地鐔 銘 松山住 利信」
日本杢目金研究所収蔵

 

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表の「夜」の素材は「赤銅」と「銀」。「赤銅」は銅と金の合金で見た目は「素銅」と変らない銅色ですが、煮色着色を行うことで青みがかった黒色に変化します。裏の「昼」の素材は「赤銅」と「素銅」。「素銅」は煮色着色により赤褐色になります。

 

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表 煮色前

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表 煮色後

煮色着色とは硫酸銅と緑青の混合溶液の中で数十分から数時間程煮込むことで金属の表面を酸化させ色を変化させる方法です。意図的に金属を酸化させることで望む色に仕上げる古来よりある着色方法であり、これにより100年以上経った現在でも美しい色が残り、明治時代の「夜と昼」を今に伝えることができるのです。