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幻の技術、木目金(杢目金)
木目金(木目金)は一度途絶えたが復活し・・・
しかし一部の技術はまた途絶えてしまった
不思議な技術である。
その特殊な技術に魅了された限られた制作者たちによって
伝承される幻の技術と呼べるだろう。
「・・・・・長い間途絶したままになっていたが、明治以後、新藤鐵治の多年にわたる研鑽と努力によってようやくその復元を・・・・・」と記述されている。
秋田県文化財調査報告書 第105集 秋田の工芸技術 杢目金 藤原 茂 秋田県教育委員会
同時期、明治の末に東京美術学校(現東京芸術大学)鍛金部の教授平田宗幸・またその弟子である吉田宗入斎や渡辺萬里によって研究された。
しかし、
「・・・・・吉田宗入斎は一歩技術を進め・・・・・金・銀・朧銀(四分一)・赤銅の融点の異なる金属を用いて木目金(杢目金)を作って成功しているが、昭和32年に死去してその技法も絶え・・・・・」とある。
「日本科学技術史;鍛金」 三井安蘇男 朝日新聞社編 |
その後、東京技術大学教授伊藤廣利氏が木目金(杢目金)を使用して精力的に作品を発表していたが、1998年に他界された。現在では、新潟の玉川宣夫氏や秋田の千貝弘氏、根田雄一郎氏が伝統工芸を中心に製作発表をしている。
木目金(杢目金)技術の伝承
私が木目金(杢目金)を研究していく中でこの特殊な金属加工技術の伝承、研究の難しさを痛切に感じております。
木目金(杢目金)は、細部における工程の複雑さ、および口伝えのあいまいさ、また彫金と鍛金の両方の基礎技術を有した前提の技術となるため、習得は非常に困難なものでした。またその技術の多くは素材を作る段階に集約され、作品として昇華するには制作者それぞれによる更なる研鑽が必要不可欠となるからです。それ故、後進の指導となると実態は体験的な制作にとどまり正確な伝承・研究と成り難いのが現状です。
人によって使用する設備・道具の小さな差異によっても制作工程が大きく変化する不確定さを持ち合わせているので、目先のテクニックに翻弄され、その多くは技術的な表面上の習得にとどまってしまいます。
故伊藤廣利先生が「素材の云い分―木目金制作を通してー」で述べられているように、木目金(杢目金)技術は金属素材の変化を五感によって感じ取り、素材との対話によってはじめて、その独特の紋様をあらわします。しかし、現実には本来の木目金(杢目金)技術の内包する素材と制作者との対話という思想的、精神的な意味とは程遠いものとなっていることは嘆かわしいことです。
日本が世界に誇るこの素晴らしい特殊な金属工芸技術が埋もれることなく、現代の生活の中で楽しめる方法を模索してゆけたらと思います。
[参考文献]
「鐔観照記」 鳥越一太郎 日本文教出版 1965
「鐔の美」 加島進 大塚巧芸社 1970
「鐔大観」 川口渉 南人社 1935
「秋田の鐔工と刀工の研究」 菅原鶴太郎 菅原美穂子1979
「日本科学技術史」 朝日新聞社 伴俊彦編
素材の云い分―木目金制作を通して」 伊藤廣利
「茶道具の世界10 香合」 池田巖 淡交社
「秋田の有形文化財」 秋田県教育委員会編
「彫金・鍛金の技法I・II」 金工作家協会編集委員会編
「日本科学技術史 鍛金 三井安蘇夫」 朝日新聞社編 昭和37年
「秋田県文化財調査報告書第105集 秋田の工芸技術 杢目金 藤原茂」秋田県教育委員会 昭和58年
「平成十年度 学習講座 秋田の金属工芸」秋田市立赤れんが郷土館
平成11年
「ナイフマガジン」株式会社ワールドフォトプレス
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